2020.01.19

土曜日は韓国料理とビールをいただきつつ『パラサイト』についてあることないこと存分に喋り、楽しかった。あの完成度や強度を持った邦画って何だろうねという話で、ひとりが『近松物語』を挙げ、琵琶湖のシーンをひとりで見事に演じ分けつつ再現した、その再現度がかなりのものだったことにこの後気がつくことになる。集った五人のうち、鑑賞後落ち込んだという人が三人、僕ともう一人がエンタメとして楽しんだ、というスタンスで、前者も丘の上目線で落ち込んだという一人と、半地下のスタンスで絶望したという二人とに分かれた。僕はすでに書いたように言うならばポン・ジュノと同じような「中流」の立場でこの映画を楽しんでいたとも言えて、だからこの映画を階級や格差を問題とした作品だとはあんまり観なかったけれど、この映画について語ることが自然と自身のスタンスを明らかにしかねないという意味で、格差構造を浮き彫りにする作品であるとは思う。韓国の文化や社会のことはよく知らないからこれはよくわかんなかったけど、という留保が自然とついたりして、その場では断定するような口調であれ、それは自身のスタンスの断言でしかない、そういう語り口が共有されていてよかった。韓国の受験や雇用の厳しさや、家族観みたいなものも、僕らにはきちんと実感することはできない。いくら共通しているものが多かったり似ているように見えても、やっぱりわからないところがある、というのは当然のことであって、あそこがわからなかったよね、という話こそ面白かった。観てもいない『万引き家族』が何度も不当にディスられていて、いやほとんどが僕がディスっていたのだが、ここまでしたからには観てもいいかもしれない。


たくさん喋って興奮していたのと、奥さんが不在でつまらなかったので、日付の変わるころに帰宅してから白湯をがぶがぶ飲みながら『グエムル』を観始めた。ソン・ガンホはこのころから監督にあからさまに贔屓されているのだな、と思い、ペ・ドゥナの顔が僕はとても好きで、出ていると知らないまま再生したので出てきたときは嬉しく思った。それでなんとなく物足りなくて、『パラサイト』の後に観てしまうと粗が目立つようでこれはどちらかというと僕の問題で、それで明け方まで『近松物語』を観ることにした。琵琶湖のシーンでやっぱり茂平ィー! となり、それは先ほどの飲み屋での再現を楽しく聴いていた時とほとんど同じ感動だった。あの場で思い出していたこのシーンの印象と、こうしてじっさいに見返したシーンとが、ほとんど同じものとして感覚される、それは面白いことだった。やるせなさを残しつつも、そもそもの悲劇を生み出すナンセンスな構造自体への抵抗はほとんど見られず、メロドラマや逃亡劇としてのとしての面白さに先鋭化させていくという作りからして、たしかに『パラサイト』から連想しうる映画だと思って、改めて感心する。


それでようやく布団に入るものの寝付けず、明るくなるまで『2666』を読んでいて、終わった。それで満足して寝た。


昼ごろ起きて、すこし書きもの、それからは楽しみにしていた『セックス・エデュケーション』のシーズン2をどんどん観ていた。彼女ができたことでオーティスがイキりだしてどんどんいたたまれなくなっていくことや、親や教師の性生活にまで切り込んでいくこと、アセクシャルや性犯罪といったテーマの提示に、ははあ! と関心していた。シーズン1では改めて肯定的にセックスを語り直すことに比重が置かれていたけれども、セックスだけが特権的な位置を占めているわけでもないし、暴力にもなりうるというところまで踏み込んできた。それもこれまでのようにカラッと爽やかに。性関係に限らず人間関係というものは「正しさ」だけでは割り切れない、むしろ信頼の上に成り立つ「正しくなさ」をいかに乗りこなして/乗り越えていくのかという楽しさや難しさがあるというのをきちんと描いていく。もうすでに「正しい/正しくない」の二項対立ではなく、その先を見据えて作られている。すごい。ただ正しい被害者の側で語るのではなく、自身の正しくない加害性を見つめることも大切なのだということ。もちろん信頼関係もなしに「正しさ」を踏みにじる加害者はクソでしかないこと。そういうことをちゃんと描いてくれている、助かる、僕は『マリッジ・ストーリー』も同じような気持ちで観た。

五話までみて、僕はエリックの笑顔を見ていればそれで嬉しくなるのだけど、アダムへの好ましさがどんどん高まる撮り方で、この二人には単純にキュンキュンさせられている。身悶えしているタイミングで奥さんが帰ってきたので早口でオタク語りをし、とにかくこのシーンだけ見てくれと深夜のデートシーンを無理やり見せた。少女漫画じゃん、と奥さんは言った。そうだよね! と僕は食い気味に言った。


それから二人でドロヘドロFGO、ヒロアカ。24時間のうち12時間くらいテレビの画面を見ていたのではないか。