2020.06.11

休日なので、午前中に録画していた『タクシー運転手』を観る。録画していたのだが、配信もあったのでそちらで観た。ソン・ガンホの表情がどんどん変わっていく。その変貌にとにかく魅せられる。そのほかの人物もみんないい顔をしていた。ゴリゴリの社会派でありながら鮮烈なエンタメでもある、というところに、いつも韓国映画の強さを感じる。ゲラゲラ笑いながら観ていたからこそ、ほんとうに辛い気持ちになるし、ハラハラと手に汗握るからこそ、空しさが迫る。ほんとうにすごい。音痴の撮り方がいい。いいものを観た。


白井聡『武器としての「資本論」』を始める。のっけから面白く、しかしこれは僕がnote で「会社員の哲学」として書いてきたものとだいぶかぶって、マルクスの部分はもう僕が書かなくてもいいかもしれないな、と思う。『資本論』は読みたいが、読んだというアリバイ作りのために読みたいわけではなく、読む前から図々しくあたかも読んだかのようにほうぼうで引用して使っている。この使い勝手のよさもマルクスの凄さだろうが、使い勝手がいいから使えるということと、じっさいに読んでみることとは、また違っている。何が違っているかというと行為の質がそもそも違う。それは映画について語るのと、じっさいに映画を撮ってみることが違うのに似た違いかただ。


コーヒー豆を切らしていたのでドトールに向かう。郵便受けに『MOMENT 2』が届いている。うきうきする。

香山哲の漫画から読み出したいのをがまんして、順番に読んでいく。ページの端っこにアーティストと曲名が置いてあって、それがよかった。指定された音楽をかけ、そのリズムで記事を読んでいく。ОK、まずはパーティから始めましょう。このスタンスに僕は寄与したい。最高だった。いい雑誌なので、『1』も買おうと思う。


週末までで無料期間が切れるディズニーの配信のやつがなんか新しくなった。それで観れるようになった『トイ・ストーリー4』を観てずベずべに泣いた。向かいで仕事をしている奥さんがそっとティッシュを持ってきてくれた。『トイ・ストーリー』はどんどん観る側の成熟度を試してくる。僕はアンディと同世代くらいなので、大学生の時に3を観て、ずベずべに泣いた。それは子供時代への弔いだった。子供のころ夢中になって何度も観た映画の続編で、それは就職活動が間近に迫った僕にとってイニシエーションだった。それで社会人になってからの4だった。これは『トイ・ストーリー』を子供やかつて子供だった人のための映画だと考えると、非常に酷だし、蛇足だ。4は明確に大人のために作られている。子供が手から離れたあとの人生についての映画だ。ピクサーは子供から大人へ、かつて子供だった親たちへと、明確にターゲットを移していったが、ここにきてとうとうかつて親だった者に、あるいは「親」──今まさにそうであるだけでなく、未来にそうなることが想定されている場合も含む──という役割に拘泥している者たちに、語りかけている。僕をずべずべに泣かせたのは、認知の歪みと対峙し家族が誤配されるギャビー・ギャビーと、終始でくのぼうだったバズの諦念とにだ。役割よりも優先される個人という描き方に、マルクスを読んでいるいまどうしても新自由主義の屈託ない肯定というような見方がぬぐい切れないが、それでもやっぱり優しさだった。規範からの逸脱は、致命傷でもそもそも傷でもない。むしろそれは生活の獲得であり、奪還であり、始まりでもありうるのだ。逸脱しないと生活を獲得でないというのは、酷薄でもあるけれど、救いでもある。この二面性とどう折り合いをつけていくのか、というのをずっと考えている。


近年のピクサーの短篇は、しみったれた道徳ビデオみたいなのが多くてつまらなかった。


『フィットボクシング』を買って、運動を行った。


『MOMENT 2』のブックガイドがほとんど既知かつ既読のものばかりで、そうかあ、と思う。気をつけて散らかしているつもりでもやっぱりだいぶ偏っているのだな、と思う。寝る前に『キッチンの歴史』の「食べる」の章と『まるごと 腐女子のつづ井さん』の三巻の部分を読み終える。


いい一日だった。