2019.12.07

久し振りに引っ張り出したからし色でよれよれのカーディガンはやっぱりかわいいがそういえばボタンが一つとれているし虫食いもある、それで主力メンバーから外されたことを思い出すが面倒なのでそのまま出る。地下に潜った車窓に写るのをみて寝癖が直りきっていないことを知る。きょうは弁当も水筒も準備できないほど寝坊していたし、全体として腑抜けている。配信されたフヅクエの「読書日記」をニコニコと読んでいると、PDF の上で指がそういう動きを再現したらしく僕のiPad は車内に高らかと吉田健一を読み上げた。よくできました。

仕事も身が入らず、今日は奥さんは家に帰ってこない日なので帰ってもつまらないような気がして、なんだかずっと白けているようだった。

昼休憩に駅前の本屋に行って、大きな書店は久しぶりだった。何でもあるな、と思い、ほとんど全部あるな、と思い、この白々しい気持ちを洗い流すような、しんしんとして、簡素な美しさを、そう思い、カーヴァー、島田、武田、ウルフ。そうやって『大聖堂』『古くてあたらしい仕事』『富士日記』『灯台へ』が、流れるような動作のなかで手に取られ、買われていった。一万円くらいのつもりが七千円くらいで、安いな、安すぎる、と思い、節約のために今日はうどんだと入った丸亀製麺で750円で、高いな、これだったらもっとゆっくりできるところにすればよかった、と思われた。

休憩室で、所定の休憩時間を無視しながら、「ささやかだけれど、役にたつこと」を読んで、三品輝起の「考える人」の連載から欲望されたこの短編によって、息がまた吸えるようだった、いまは、素朴さと取り違えられてしまいかねないほどギリギリまで洗練されたものに触れたいようだった。なるべくシンプルに。複雑なことと複雑なままに対峙するためにこそ、シンプルさは要請されるようだった。簡素に、美しくあれ。