2020.01.16

休みだったので思い切り寝坊して、そのまま歩いてショッピングモールに向かった。30分までは余裕で徒歩圏内なので、そこにシネコンがあるのは助かるな、と思う。『パラサイト』を観る。最初のポスターが公開されたのが去年の春とかで、ずっと楽しみにしていたのだが公開日を知らないままでいつの間にか公開されていて、いつの間にか大勢の人が見ていた。絶対にポスター以上の情報を仕入れたくなかったので慌ててTwitter のミュートワードに「パラサイト」を設定したのが先週のことで、それで今日観ることができた。平日の昼間でも席がかなり埋まっていて、近所の年寄りたちがこぞって集まっているようだった。そんな映画なんだっけ、いまどんな売り込み方をされているのかよくわからない。映画は非常に面白く、隣のばあさんが、あらまあ、とか、やだあ、とか漏らすのをそこまで煩く感じずに、こちらもまた、あらあ、などと声にこそ出さないが何度も思った。社会問題をへたにカジュアルにすることなく、さらっとエンタメに昇華してしまう韓国映画の凄みみたいなものを、ポン・ジュノに限らず多くの韓国映画に感じていて、僕はその暴力や貧しさの描写のどぎつさみたいなのが好きなのだけど、今回はテーマのどぎつさに反して割合さらっとしていて、だからこそ欧米文化圏でも広く受け入れられたのではないか。とても面白かった。格差を生み出す構造への憎悪こそあれど、金持ちを悪者として描かないところがすごくよくて、生活に余裕があったら「いい人」である余裕だってそりゃあるでしょうよ、と個々人の責任ではなく格差を生み出す構造のダメさを引き立たせる、その語り方が怖いくらい巧い。登場人物に明確なヒールも明確なヒーローも不在で、おのおのがおのおのの置かれた状況のなかで「その立場だったらそう振る舞うよな」という行動を取るのがいい。貧しい側がことさらに無能なわけでも有能なわけでもなく、金持ち側がわかりやすく怠惰でも意地悪なわけでもなく、それぞれその人なりに勤勉であるのがよかった。誰もが自分にできることをできるかぎり勤勉に行おうとしていた。誰もが自身のサバイブにとって最善の勤勉さを志向した結果、事態はどんどんこじれていく。そのどうしようもなさに、資産の多寡に関わらず、誰もが歪な構造の当事者なのだという冷徹なまなざしを感じた。

オタクやコスプレが韓国語でもそのまま流用されていること、熟語の読み方もだいたい日本語と似通っていることに、毎回面白がる。「반지하」の読み方だってほとんど一緒だ。わかりそうでわからない言語の絶妙な距離感に惹かれる。やっぱり韓国語を勉強したいな、とそれこそ去年のこのくらいの時期にも考えて二週間くらいで飽きたのではなかったか。


家に帰ってすぐ寝落ちてしまって、一日が短かった。

今日のうちにがっつりボラーニョを読んでおきたかったので、目覚めてから半ば意地で読む。ついに小説を書き始めたあたりからようやく楽しく読めるようで、読めるようになると「あ、これ読んだことある」と記憶がよみがえってくる。六年前も戦争パートがだるかったらしい。