2020.01.29

図書館で予約した本が受取期日を過ぎてどんどんリリースされていく。行きたいなあというイベントのチケットも気がついたらなくなっているし、春くらいに行きたいかもなあと話している旅行の日取りも決まっていないうちにお互いどんどこ予定が入っていてもうまとまって休める余地がない。今日明日より先のことを考えることができていなくて、なんとなく追い立てられているような気持というか、じわじわ追い込まれているような感覚がある。計画性。しかし計画など立ててもしょうがないじゃないかという気持ちもある。計画を立てなければ計画通りにいかなくてつらい思いをしないでも済む。とはいえ、ぼんやりと流されていくに任せるのも、それはそれでしんどい。適度なふんばりは適度なサボりと同じくらい重要。動きすぎても、動かなすぎてもよくない。


焦って奥さんと二人で使っているSlack の「おでかけ」チャンネルに懸念事項というか、やりたいことリストを送り、どれを見送りどれを追いかけるか相談を始める。「おでかけ」は休日に二人で出かけたいところややりたいことをとにかく書き出しておくチャンネルだ。しかしこれはほとんど情報整理のためのタスク出しというか、考えることを書き出して外在化させていくステップにすぎず、下手をすると奥さんに判断の負荷を丸投げする形になりかねない。ひとまず外に出したことで満足して、あとは帰ったら直接話そ、と粛々と仕事に戻る。

ちなみに「アカミミ営業部」というチャンネルでは奥さんがIFTTT でtwitter と繋いで「プルーストを読む生活」および「零貨店アカミミ」というワードの入ったツイートがあると通知が来るようにしてくれた。僕のエゴサーチ力はこの仕組みによってさらに強くなるだろう。今日も『プルーストを読む生活』をきっかけに日記を公開する気になった、というような投稿がなされていて、その日記にはかつて僕も通ったキャンパスの様子が描かれていて、なんだかとても嬉しくなった。特に寒い季節には、ヤニ臭いのが似合う場所だったのを思い出す。やたら引用ばかりしていた日記に本の形を与え、今度は引用してもらえる。引いてもらったところだけ読むと、なんだか他人事のように思えてくる。なんか格好いいこと言ってんじゃん。


きょうも退勤時間の三時間くらい前にてきめんに集中力が途切れ、この時間を『アイリッシュマン』の視聴に充ててえ、と思う。二時間半前になるとこの時間で『構造素子』を読んじゃいたい、と思う。母方の実家は新幹線で一時間半のところにあって、子供のころ、あとどれくらい? と何度も何度も訊く子らに対し母は道のりはぜんぶでアニメのポケモン3回分だとしたうえで、今は1回目のポケモンロケット団が星になったところ、今は2回目のCMが入るところ、などと説明してくれたことを思い出す。それでますます子らは面白くなって、今は? 今はどんなところ? としつこく訊く。あのころと発想があまり変わっていない。