2020.02.08

図書館で本を借りるようになったのは奥さんと暮らし始めてからで、だから五年弱のことだった。読書記録もそのころから付けはじめ、それは書き留めておかないと手許に本が残らずあっという間に忘れてしまうからだった。読了リストはそのまま本棚を眺めるようにして眺めることになった。この三日はとても寒く、一年のうち一番冷え込むのが一月の末から二月の上旬くらい、まさにこの時期ということが検索によって知らされた。毎年この時期に「寒さ ピーク 一年」と検索窓に打ち込んでいる気がする。さっき一緒に暮らし始めて五年弱と書いたばかりだけれどもっと長かった気もするし、短かった気もする。全ての記憶が頼りない。自己同一性は記憶によって担保されているというような話があるけれど、どうにも疑わしいと思う。ほとんど何も覚えていない気もするし、やっぱり何でも覚えているような気もする。この日記も毎日書いては、悪文だな、と思ってそのまま公開してすぐに忘れてしまうが、たまに読み返すとふつうに面白く読む、それはもはや、悪文か否かでなく面白いかどうかで読むモードに切り替わっているからで、つまり他人事として読んでいるからだった。自分のこととなるとなにかしら格好よく見せたいというこだわりも生まれるが、他人事としては不格好なくらいがいちばん面白い。それに日記は日記なので面白いかどうかということもほとんど意識はしない。ただなるべく毎日書こうというのがあるだけで、虚飾や背伸びの手間を諦めることができる。それが日記のいいところだった。クオリティよりも継続を追求する。ただ書く。最近はただ書けている感じがしていい。日記を本の形にしてひっそりと頒布して、なんとなく読まれることを意識してしまうが、というかこうして公開する形で書いているのだからもともと読まれることは前提としてある日記なわけだけれど、それでもなんだかより一層読まれているという気になるらしく、ちょっとどう書けばいいのか分からなくなりかけた。それは一気に厳しくなった寒さのせいでもあるだろう。変温動物並みに、外気によって心身のパフォーマンスが左右される。おそらく今朝が底で、ここからまた暖かくなっていく予感がある。それですこしマシになってきているようで、別にただ書けばいいし、書きたくないなら書かなければいいというのを思い出す。春に近づいていく時期というのは一番気がちがってくるものであって、うっかりしていると大きな買い物や、結婚や、とにかくデカいことをしでかしかねない。寒さに合わせて塞いでいったものが、俄かに噴き出すのだから、たいへんだ。そもそも何の気もなしに増刷を決めてさっさと入稿してしまっていることからして、もうすでに正気ではないのだ。