2020.02.18

あたらしく寝つきがよくなる漢方を服むようになってから ──いやここに因果関係があるかはわからない、春に向けて気圧も気温も不安定で静かにしていたって気が滅入ってしまう時期なのだから── 夢見がよくない。奥さんもそうらしい。きのうは夫婦でお尻をプリプリ振るその振りっぷりを競う大会みたいなのがあって、アリゾナの砂漠をペーパードライバーの癖に爆走して会場に向かうのだが案の定ハンドルもブレーキもバカになっていてしかし道は平坦だからすぐにはどうにもならない、問題は会場に着いたときどうしたら停車できるか、最悪の場合この車から飛び降りるかだ、と冷たい汗に貼りつくTシャツが気持ち悪い。助手席では奥さんがお尻の振りチェックに余念がない。僕の顔のすぐ横でプリプリプリプリ振り続けている。やめてくれ! 気が散る! と思いながら僕は抗議の振り付けで尻を振る。もうアクセルもブレーキも利かないのだからシートのうえに靴を履いたまま立ち、身体をくの字に曲げざるをえないが尻喧嘩のためにはかえって都合がいい。汗で冷えた体がすぐに火照ってくる。もちろんすぐにトランス状態に入る。二人して恍惚と熱狂の内に我を忘れる。どうか今のうちに車ごとぺちゃんこになってくれ、とても正気ではいられない。


それで今朝はとにかくやけにリアルな夢で、なにやら前職を離れすでに三年が経っている。汚れ仕事を請け負って都内のマンションのいくつかを回っていたのだが、ぼんやりといつまでもこんな仕事やってるわけにはいかないな、いやしかしそっか俺転職しちゃったんだなあ、などと考えている、というような夢で、とにかく労働の実感があったのだが起きたらまだ朝でこれから出勤なわけで納得がいかない。電車では昨日からちくま文庫の『本屋、はじめました』。名古屋のリブロの話が出てきて、もしかして僕の中高時代と、辻山さんの名古屋時代は重なっているのだろうか、ON READING との繋がりも面白く、もしかしたら僕はリブロですでに辻山さんの仕事に触れていたのかもしれないな、と思うと本屋くらいしか居場所がなかったように感じていた暗い青春時代が労われたような思いが去来した。十代のつまらなさを美化する気も正当化する気もさらさらないので救われたとは思わないが、労い位はあったっていいだろう。


ワニウエイブは僕は文章書く彦で、この人のnote の投稿が名文だった。音楽のほうはどこからでもワニが出てくるやつが好き。露悪的な表現がややクサく、もしかしたら早々に消費期限が来てまったくよく思えなくなるような文章の可能性もある。でも今の気分をぴたりと言い当てるという意味で、とても鋭く冷静な文章だと思う。

 

オレは宗教家ではないので君たちを救うことはできないが、ちょっと気持ちを軽くしてやるようなアイデアならいくつかある。まず、村を作り、情報を共有すること。信用できる書き手を探すこと。自分の心を豊かに保つことをして、それにお金を使うこと。ユーモアを維持すること。できるだけ多くの(一方的にでもいい)信用できる人を見つけること。そして、自分にとってアクチュアルなことをずっと考え続けること。

インターネットの各所から悲鳴にも近いTwitter嫌悪の声が聞こえる|ワニウエイブ/文章書く彦|note


この辺、僕はこの日記やら、生活のあちこちで、すでに実践してんのよな、と思う。僕の気持ちはすでにある程度軽くて、それでもため息が止まらないような日もあるということで、どちらかというと天気の問題だった。Twitter は最悪だ、という文章をTwitter でシェアするという、為した瞬間に自家中毒に陥る愚行を為しているあいだ、僕のタイムラインでは『プルーストを読む生活』をものすごく楽しそうに読んでくださっている様子が流れてくる。Twitter はすばらしい。クソみたいな気持ちにもなるが、こういう嬉しさにも満ち満ちている。これを人生だとか世界みたいなものの縮図だと安易に拡大解釈を行いたがるのが言葉というもので、しかしなんでもかんでも人生だとか世界だとか、誰もじっさいに見たことのないものに喩えてしまうのが思考停止でなくて何だろうか。人生だとか世界だとか書くのは、言葉によって語らされているだけでまったく自分で語っていない。ともかく、読書って楽しいよねえ! ということだけを書いた日記にとって、それが本の形になって、手に取ってくださった方に、楽しいなあ! と読まれること以上に嬉しいことはない。なんか、いいもの書いたなあ、僕の生活はいいなあ、みたいな気持ちになる。『プルーストを読む生活』で読書会しよう! みたいなことまで言ってくださっていて、ほんとうに催されるならめちゃくちゃ参加したい、いやしたくない、隣で気づかれないようにその様子を盗み聞きしたい、と思われたが、どこか自分とあまり関係のないところで自分の作ったものが話題になっていると思うだけで、なんだかくすぐったいような気分になるんだな、僕も著者や翻訳者や編集者や営業の人や書店員や読者やともかくその本に関わったすべての人たちがエゴサしやすいようにツイートすることを心掛けているけれど、これからもそうしよう、これまで以上に、いいと思ったらいいと思ったことをちゃんと言語化してインターネットに放流しようと思えた。心を豊かに保つことをして、それにお金を使うこと、それのすばらしさを言葉にして伝えること、そのすばらしさに見合った行動をなるべく選ぶようにすること。