2020.04.03

チザルムに差異について教えてください。差異はありふれたものだと。差異はノーマルなものだと。差異に価値をつけないよう教えてください。理由は、公平とか優しさのためではなく、たんに人間であるため、実際的であるためです。なぜなら差異は私たちが生きる世界の現実だからです。差異について教えることは、彼女が多様な世界で生き延びる力をつけることになります。

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決して自分の基準を、あるいは自分の経験を、だれにでもあてはまるものとして一般化しないよう教えてください。彼女の基準は彼女だけのものであり、他の人のためのものではないことを教えてあげて。これは謙虚であるために必要な唯一のあり方です。つまり差異はノーマルなものだという認識です。

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注意して、わたしは彼女を「中立的」に育てるよう提案しているわけではありません。この「中立的」というのは最近よく使われる表現だけど、ちょっと心配。その考えの背後にある一般的心情は立派でも、「中立的」というのは、ともすると「なにも意見をもたない」とか「自分の意見はいわずにおこう」という意味にすりかわるからです。逆に、わたしはチザルムには、自分の意見をたくさんもつようになってほしいし、その意見が十分に情報をあたえられた、人間味のある、寛容な場所から出てきたものであってほしいのです。

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『イジェアウェレへ』くぼたのぞみ訳(河出書房新社)  p.114-118


朝は『イジェアウェレへ』。とてもよかった。行きの時間で読み切れる小さな本だけれど、ものすごく風通しがよくなる。誠実でありたいよな、と確認できる一冊。娘をどう育てていけばよいか、という友人に宛てた手紙。チザルムは友人の娘の名だ。

誰もが誰もと同じように尊重されるべきだし、誰もが誰かと違っている。差異をことさらにあげつらったり、称揚することなしに、そういうもん、として付き合っていくことはできないことじゃない。それぞれ違っている者同士、当たり前に敬意を払い合っていきたい。


しかし朝のうちに読み終えてしまったので夜は何を読もうかと困った。そういうときはレムを読んでいるが、なかなかノれない日も多く、そうなると自分の日記本の校正だったがあれは読書でありつつも作業であり、難しかった。『料理は女の義務ですか』も持ってくればよかった。料理は僕には、できなくはないけど実行のたびに自己肯定感が損なわれるからなるべくやらないで済ませたい生活技術で、ただ個人の特性として苦手意識があるつもりなのだけど、結婚して以来なんとなくこれは内面化してしまったジェンダーバイアスでは? と思うことも増え、しかしやっぱりただ個人として苦手なものだとも思う、というように、ジェンダーが判断のノイズになりやすいもので、だから余計に苦手意識が強かった。キャスリーン・フリンの料理教室を読んでだいぶ救われた──技術に対する感情の問題は技術の習得で解決できる──けれど、技術の習得はまだまだほど遠いのでやっぱり苦手なままだった。そろそろもう一度向き合わねばならない。