2020.04.06

週末、奥さんに5月以降のライブの予約するけどあなたは一緒に行く? と尋ねられたとき、ああ、いまのしんどさは先の予定を決めきれないというか、決めたところでどうなるかわかんないとこだよな、と思う。楽しみな予定を立てても、それを信じ切れないということだった。


非常事態宣言というここ数日で急にやいのやいの言われだした言葉がにわかに現実味を帯びてきて、会社もいよいよどうなるかわからなくなってきた。中長期的計画はこういうときに脆い。取り立てできることもなく、各所の調整とヒアリングの合間にThe Prototyping of Science Fiction Prototyping:SFプロトタイピングのためのプロトタイピング(随時更新中)|樋口恭介|note「布マスク2枚」でけっして得られない安定を | みんなのミシマガジン といった記事を読んでいた。小回りが利かない大きなシステムのなかで、個人としての身のこなしを考え直している。そういう人は多いと思うな、ほかならぬ私が転職を考えだすくらいだから、と奥さんが話していたのも今週末のことで、生活が不可逆に変わるうねりのなかにいるなあと思う。就職してから六年ちょっと、震災をきっかけに働き方を見直したという人たちの話を読み続けて、なるほどなあと頭で思いながらも体は動かず、自分が働きだしてから震災があったのなら、自分も同じように感じ行動しただろうか、などと考えていた。いま、ようやくそうした人たちの感じていたことを実感できるような気がする。もちろん、内容も質も、全く別のありかたで。いま考え直されることは、これまで考えもしなかったようなことだろう。


読書は阿古真理『料理は女の義務ですか』。新書はいつもそうだがタイトルで損をするというか、タイトルで抱かせる期待はたいがい空振りだし、タイトルで敬遠すると面白かったりする。日本のキッチンの歴史が端的に整理されていく。こんな時に、料理だとか、生活技術の変遷についてみていくのはよさそうだった。技術と文化のつくりつくられる関係、そのあり方は、疫病や戦争によって半ば無理やり変わってしまった環境によって劇的に変容していく。


自分の生活はなるべく自分でやっていきたいのに、会社や国のこととなると途端にトップダウンじゃなきゃ何もできないような気持ちにさせられること自体が、なにより歪だった。