2020.04.15

午前中に『ハッピー・デス・デイ2U』。面白かった。もはやホラーではなく、スリラーでさえなく、そうやってジャンルがなんなのかわかんなくなるのが好き。

 

仕事をしつつ、fuzkue の音楽を聴く。本が読みたくなり、隙間に『ナチスのキッチン』と『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』をちゃんぽん。いい組み合わせ。ワイマール時代の技術への楽観や、バウハウスで模索されたあたらしいウェルビーイングの構想が、ナチスの人間を機械として扱う政治の素地を準備していたという話と、注意深く全体主義を避けつつ、かといって個人主義にも偏り切らないバランスを模索する現代の技術信奉者たちの言葉とが、いい緊張感を生成している。

楽観しすぎるのも、悲観しすぎるのもいけない。とにかく人間は機械でも、社会の部品でも、全体でもなく、そのどれもと重なり合いつつもただ人間であるということ。技術とのつくりつくられる関係をいい具合に調整していくためにはどうすればいいのか、ただ極端に振るのではない、あいまいで、常に問い直し続けるような、宙ぶらりんな状態をこそいまは理想としているのかもしれない。

 

環境から独立した個人というのはない。家からほとんど出ないでいて、しかし普段以上に社会や他者のことを考えている。人恋しくもないし、外に出ないなら出ないで楽しく過ごせるのだけど、それでも逆説的に、自分が家から出ないでいられるのが、自分と社会とが共依存関係にあるからこそなのだということを強く実感する。