2020.09.28(1-p.325)

『TENET』を観たので、僕もテネットを知った風に語りたいおじさんになってしまった。

慌ててミュートワードに設定する前の‪僕のタイムラインでは「なにもわからなかった」みたいな感想が多かったけれど、定められた鑑賞時間では理解の追いつかない複雑さという意味では、昨日観たHFのほうがずっとわからなかった。というよりも、かなりレトロな時間観で、設定における知的興奮はなかった。エンドロールで、ん、となって、あとから調べてみると、弟は『インターステラー』以降兄の映画の脚本を書いていないらしく、SFの質という面で見劣りがあるのは仕方がないようだった。ただ、誰もが一度は妄想しつつも、映像として成り立たせようとしたらあまりにも考えることが多すぎて気が狂いそうなほどめんどくさい、みたいなことに挑んでいくスタンスはやはり好きだった。ホンよりも画としての映画で、それはそれで映画としていいことだった。

弟がいたころからそうだったが、本作でより顕著になったことがある。ノーラン監督作はべらぼうにスケールのでかい話を個人的な関係性に落とし込んじゃういわゆるセカイ系の話法でありつつ、配置された個人たちはべらぼうにでかくて込み入った設定の構成物としてだけあって全く深みやリアリティがないということだ。でもそれでぜんぜん良くて、こっちも複雑に作り込んまれた構築物の複雑さや面白さを楽しみに観てる。女性や黒人の薄っぺらさというか、このご時世には危うくすらある「紋切り型」に突っ込むのは簡単だけど、そもそも観る側も人間個人に興味があって観ているわけではない。でもにでもを重ねるけれど、でも僕個人の好みとしては、複雑な構築物の構成要素ひとつひとつをなるべく早く伝わりやすいモノとしようとするとき、いまだにああいった諸人物の「紋切り型」が有効であってしまうことへの批判的視座は、持っていたいと思う。

それで帰って、奥さんにべらべらと喋るのだけど、セカイ系の話法という意味では『fate』はやはり偉大なのだと、ノーランのずいぶん先を言っているのだというように、ほとんど昨日観たHF の話ばかりがなされていて、『TENET』を観た結果きのうは感想の置き所がわからなかった『Heaven's Feel』のよさが際立ってきたということだった。僕はだいぶ桜が好きなようで、桜が当時から冷遇されていたことに憤り、仮想敵としての「処女厨の童貞」に憤り、ああいうキャラクターは苦手という奥さんに対してムキになって反論を試みた。僕はああいう、自分からかまって欲しいと言い出せないような人が、一度その欲望を素直に開示した後その相手に対してしっとりズブズブになっていくみたいなのが好きなのだ。めちゃくちゃに甘やかされて、どうしようもないところまで共依存に陥っていく様をみたい。それってすごく気持ちよさそう、とわくわくする。歌舞伎とかでもそういう話が好きで、だいたい最後はみんな死ぬ。でもそれはフィクションだからこそ好きというか、フィクションと現実の区別をつけられるようになったからこその嗜好だと奥さんは言う。奥さんは学生のころから知り合いであり、フィクションを現実に持ち込みたがっていた頃の僕の趣味や素行の悪さを知っているからぐうの音も出ない。でも、でも、とほとんど意固地になって桜の肩を持つ自分を、ふと客観的に眺めて、こいつはなにに必死になっているんだろうと思うが、フィクションだからこそ、全力で耽溺しなければいけない。