2020.10.04(1-p.325)

きのうの飲み会のことで奥さんの機嫌が悪い。奥さんはただ馬鹿みたいに騒ぐような飲み会は苦手だ、と言う。確かに昨晩はホモソーシャルな匂いがないではなかったので、図星を突かれ僕もムッとした。自らのホモソしぐさに対する洞察はほどほどにしておきたいが、僕は基本的に飲みの席でまじめな話をする人は馬鹿だと思っているようだった。虚無主義的な言語ゲームにいちいち真面目に応答しようとする「マジレッサー」の欺瞞よりは、ただ楽しく大きな声を出すような態度のほうがずっと誠実だと思っている。けれどもこの価値観自体が非常にホモソーシャルなものでもあるのかもしれない。
ただ騒ぐことを楽しめない人に騒がしい場を強制することはしてはいけないというのは当然のように思えるが、ただ騒ぐことが好きな人に騒ぐことを禁じることも同じくらいいけないことではないのだろうか。こちらはなんとなく胸を張って主張できないぶん難しい。大声は周囲になにかしらの負担を強いがちだからだ。
 
足湯をしたりマッサージをしたりしても奥さんの冷たさは変わらなかったが、ここ数日無精していた髭剃りを行うとてきめんに態度が柔らかくなり顔が明るくなった。髭面が好きでないらしい。髭があると顔色も悪く見えるし、そのブスな顔でかわいげを振りまいてもかわいくない、と奥さんは言った。奥さんの気持ちがよくなるなら、僕は僕の顔をいい感じに保っておかなくてはいけない。振り返ってみると、奥さんの僕に対する態度がそっけないときは大体僕が髭を伸ばしていた。マスク着用が基本になると、髭剃りの優先度はぐっと下がる。けれども実はなによりも優先すべきことだったのだ。そういえば僕だって、奥さんが下膨れてるときはそんなに優しくない。二人してルッキズムの権化じゃん、とゲラゲラ笑ったが、ふたりの問題である限り、見た目を重視することは悪いことでもいいことでもなんでもなく、ただ二人の関係を制御する価値観でしかなかった。