2020.11.10(1-p.325)

ハイキュー!!』の視聴を始めて、夢中で観ている。みんないい子でかわいい。ガルパンやユーフォを経由して、なんだか白けてしまいがちだった一生懸命部活する話を屈託なく楽しめるようになってきた。
 
アーレントマルクス』も面白い。労働は体に悪い、と僕はつねづね言っているが、アーレントによれば労働は社会にとっても悪い。やっぱり頑張って労働するなんてろくでもないことだ。
部活が苦手だったのはそこに全体主義を感じるからだが、部活ものが楽しめることと、賃労働のろくでもなさにしつこく違和感を抱き続けることは、矛盾なく同居しうると思っていて、それはおそらく自発性とか自律みたいなものに関わっているのだけど、問題の労働がどんどんそういう部活の論理を擬制してくるのでおっかない。

2020.11.09(1-p.325)

河川敷をDent May を聴いて散歩をしていた。鍼灸を受けに行って、よわった心身を整えた帰りのことだ。とても整った。ぽかぽかとした気持ちで、空気はひんやりと気持ちが良く、日差しは暖かだった。よい秋の一日だ。鍼の響きがまだどこか残っているようで、じぶんの体のどこを労るべきかがなんとなしに感じられる。近所の友達が野菜を分けてくれるというので、こうしてふらふらと歩いている。ちょうどポケットには庄野潤三の『野菜賛歌』があった。それを読みながら友達が野菜を持ってきてくれるのを待っていた。

野菜が好きで、よく食べる。身体にいいからというのでなくて、おいしいから食べる。年を取って、ますます野菜が好きになったような気がする。

好きな野菜のことを書くのに、何から始めたらいいだろう? 順位をつけられない。どの野菜がいちばんということはない。どれもみな、いい。

庄野潤三『野菜賛歌』(講談社文芸文庫)p.16

 

それで野菜をいただいて、白菜と茄子と柚子だった。お礼にそこらで買ってきたお団子を一緒に食べた。いい天気の具合をたたえあった。

家についてさっそく白菜を豚コマと大根と一緒にくたくたに煮た。茄子は横着な煮浸しのようにした。

夕食後、奥さんが庄野潤三の下の部分を読み上げて、うふふ、と言った。

ほうれん草といえば、映画の中でポパイが愛用しているが、あれは缶に入ったほうれん草だ。ポパイにもほうれん草のおひたしにちりめんじゃこをからませたのを一度食べさせてやりたい。

同書 p.17

 

2020.11.08(1-p.325)

久しぶりの土地での仕事だったので、終わってから奥さんと待ち合わせてその土地の好きなご飯屋さんでご飯を食べた。いつもは満員で、エロい二人組たちがエロい雰囲気醸し出してる感じの店なのだけど、きょうは空いていて、このくらいがいいよねえ、という奥さんがやけに綺麗だった。奥さんも僕の顔を褒めた。この店の番のエロさの七割くらいは照明の効果なのかもしれなかった、そう二人は結論した。

帰り道、そもそも仕事終わりに合わせてわざわざ着替えて家を出てくるんだから私すごいよね、と奥さんは言って、すごいね、と応えた。立場が逆だったとして僕も出てくるだろうが、そういうことではない。相手の都合に合わせて行動することが、相手にとって負担にも驕りにもならないとわかりきっているからこそできることで、要は習い事の毎回の送り迎えを厭わない保護者のような行動だった。二人して、お互いのことを庇護対象か何かのように思っているところがあって、でも二人とも大人だから、一人でもどうにかできてはしまう。それがわかっているからこそ、こういう保護者のような振る舞いができる。

なんだか最近はあんまり本を読んでいないな。ご飯ばかり食べている。

2020.11.07(1-p.325)

箕輪さんの絵を観にSUNNY BOY BOOKS へ行く。久しぶりの学芸大学。BISTRO SARU でカチョエペペを食べてから、ほこほこと歩いていく。ここの本棚はずっと見てられる、と思いながらずっと見ていて、展示もとてもよくて、箕輪さんの絵はこのお店で見つけたし、それからも本屋で見ているから、本のある空間によく似合う絵だと思っていた。静かで、どこか心細いような、そのうえで内面はだいたい明るくて賑やかな感じもする、そんな絵で、好きだった。レジで高橋さんに、あれ、と言う顔で見られて、あっ柿内です、と言って、そのあと僕はこんにちはと言っただろうか、たぶん言えてない。挨拶もできないやつだということだった。ここから徒歩三十秒のとこに新しい本屋さんが出来ましたよ、と高橋さんに教えてもらう。外で、お店の窓に絵を描いていた箕輪さんにもこんにちはして、サインをいただく。あ、柿内さんだったんですね、とニコニコとサインを書いてくださって、僕はいつぞやはありがとうございました、とへらへらしていた。こういう時、ちょうどいいお喋りの具合にいつも悩む。
後から気がついたがキャップを被ってマスクもしていて顔のほとんどが隠れているので、よく見知った人でもこれでは見分けがつかないだろう。そんなことに今さら気がつく。
BOOK AND SONS はとてもオシャレな感じの建物で、置いている本もタイポグラフィや写真集や、格好のいいものばかりだった。平野甲賀の本を出していて、平野甲賀の展示をやっていた。僕は平野甲賀を名前は知らなかったがその文字はよく知っていた。深夜特急の人だ、と僕が言うと奥さんは椎名誠の人だねと言った。最近のぼくとしては小島信夫の人で、展示してある本も買えるということで『静温な日々』の綺麗な函入り布張りの本を買う。
 
それから新宿で買い物をして、満員の映画館で『鬼滅の刃』を観た。満員の劇場というのはそれだけでいいものだった。

2020.11.06(1-p.325)

週末まで気圧が下がり続けるらしい。日差しも暖かかった昨日と打って変わり今日はとても冷える。今週はずっと情緒が乱高下していて、特に今めそめそした気持ちになっている、このめそめそ具合がすごい。誰にともなく謝って回りたいような気持ち。知らないうちに何かとんでもないことをしでかしてしまったような心細さがある。すこし前まではこのめそめその原因を探して、わざわざ自分の気に入らないことを、全て解決するべき何かとして取り上げては余計にめそめそしていた。いまは自分が天気の具合で体調が左右されるとか、ニュースの騒がしさに感じやすいとか、そういうことをわかってきて、まずはこの冷えと大統領選のせいにできるから、身の回りに追求すべき何かを見つけずに済む。天気もニュースも結局はこの不調を説明するための「物語」だが、誰にも責任を被せようがないものを原因としてしまった方が、自己嫌悪のループにはまり込んでいくよりはいくぶんマシだろう。というところで止められるのがいつものめそめそで、今日のは、それでもやはり僕には謝ることがあるのではないか、人は訳もわからずめそめそするがどうしたって訳を求めたがるものだ、などと嘯くのは自己欺瞞で、やはり訳があるのではないか、という思いが拭いきれない。
 
昼ごろ上のようなツイートをして夜はもう書く気力が残っていないからツイートだったら気分としては適当だから、それですこしでも書いておいて夜に日記としてまとめようと思ったのだ。僕はツイッターが下手だから140文字で収められたためしがない。それでたくさん書いてしまった。おかげで今日の日記はそこそこのボリュームがあるが、しかしこういうことでいいのだろうか。なにか間違えている気がしてならない。
 

 

 

2020.11.05(1-p.325)


今日も忙しくて退勤後言語野が異常をきたした。なんかずっと喋っていたが内容は虚無だった。
 
先月末からのひどい有様はようやくすこし落ち着いてきた。賃労働で棄損された人間らしさを回復するのに賃金やそのほかのコストが払われていくの、いつまでも納得できないでいる。

 

 

 

 

2020.11.04(1-p.325)

 

 

なんかすごい忙しく賃労働に励んでいたはずなのだけど、『チェンソーマン』の9巻も読んだし、『ルームメイツ』の全4巻も読んだ。どちらもべらぼうに面白い漫画で、前者は感情ではなく先の読めなさと画面の気迫でぐんぐん物語をドライブさせていく巧さで、後者は感情と制度とのぶつかり合う部分での機微を驚くほど精緻に掬い取っていくような巧さだった。どっちも好き。

あとはなんの記憶もない。

さいきん忙しさにかまけていい人間ではないので、そろそろいい人間になりたい。

 

 

www.mangaz.com