2020.02.05

鈍器会でも褒めそやされていたボラーニョ『通話』を始める。「センシニ」は確かにとてもよくって、朝から静かな気持ちになった。挫折一歩手前でくすぶる青春を描くのがほんとうに巧い。


体調はかなり悪くて、仕事の時間をかなり切り詰めてなるべく心身を労わった。日記を書こうにもぼんやりしてしまって文字を置くのが億劫だった。読書メーターに『プルーストを読む生活1』のページが作られていることに気がつく。嬉しい。本は楽しいので読むが、読むことがアイデンティティに組み込まれていくとは思っていなくて、また何かのきっかけでまたさっぱり読まなくなることもあるだろうな、と思っている。読者はあくまで消費者だ。僕は読者で、気まぐれだ。


つまらんな、と思いつつ、結局今日も本を読んでいるし、日記を書いている。ボラーニョは最高だし、日記も楽しい。調子がよくなくてつまらん気分のときでも何でもなく楽しかったり嬉しかったりすることができるから、読書というのはやっぱりそう簡単には手放せないものなのかもしれない。より正確に言うと、手放すとか手放さないとかいう意思が介在しようのない営為のように思える。