2020.03.02

暖かくなってくるこの時期はそわそわと落ち着かなかったり、急に攻撃的になったり、焦燥感や悲観に襲われがちだ。毎年この時期がいちばん精神につらい。だからこそいつものように本を読んだり、奥さんと散歩をしたり、なるべくいつものように楽しくしていたい。辛気臭くしていると、体の前に精神が疲弊する。それが何よりも避けるべき事態だった。それで昨日も二人で散歩に出かけてHABさんで買い物をして出来立ての冊子もいただいて、ホクホクと浅草まで歩き、フグレンでカフェラテを飲みながらさっそく写真を撮ったり、読んだりしていた。笠井さんの「製本する人々」がしみじみいい。このいい文章に、ちらりと登場させてもらえたことが嬉しい。きょうは二人ともカフェラテだったので、『H.A.Bノ冊子』も二冊組だしお揃いだ! と二人分のカフェラテと冊子を一緒に撮った写真をツイートすると、ハート形のカフェラテ写真を並べて撮ってデート自慢とか一〇年前の私だったら即ブロックしてる、と奥さんは苦々しげな顔で言った。ほんとうに嫌そうだった。いまは一〇年前ではないからブロックはしないけれど心のなかでそっと存在を抹消する、とのこと。僕は、いや、カフェラテって普通に入れたらあの形になるんじゃ、とも思ったが、もごもご言い終えないうちに抹消されてしまった。


阿久津さんの『読書の日記』が非常に楽しみだ。メルマガ購読者には先んじて献本いただけるということで、今日お店に取りに行くつもりだった。fuzkue に行くのも久しぶりで、そんなに長居はできないけれどがっつり読むぞ~という気持ちだけは漲っている。はりきってスタニスワフ・レム『完全な真空』とソル・ケー・モオ『女であるだけで』を持ってきていた。どちらもHABさんで買った本だった。レムは待ちきれず行きの電車で始めて、とても愉快そうだった。これは、かなり好きなやつ。そう思われて、しかし電車はいつも以上に混んでいた。僕は朝が弱くていつも遅めの電車に乗るのだけど、これも時差通勤の影響だろうか。皆で一斉に時差をつけては、何も変わらないじゃないか、こういうコントみたいな状況がこうして大真面目な顔して作り出される現実にぞっとする。トイレットペーパーやマスクの品薄もそうだが、とにかく、「バカな大衆」という幻想を恐れ、その幻想がしでかすであろう愚行に先んじて防衛策を講じようとするとその「バカな大衆とは一味違った自分」こそが幻想された愚行の行為者そのものとして振る舞っている、という状況が頻発しているようで、怖い。誰も彼もが自分よりもバカな「大衆」がいると信じ込んでいて、その自分以外の人間に対する徹底的な不信感が怖い。バカがやらかして迷惑をこうむる前に自分がやらかしてしまえ、というような下品さ。そうやって誰も彼も見下して、自分だけはまともだと屈託なく信じてしまえることが、愚劣な現政権を放任する無神経にまで直結しているように思えてならない。政府なんていつでも愚劣だった、でも自分だけはそれに騙されていない、というような。いやいや、政治は実体のないデマと違って具体的に生活に影響をおよぼしてしまうものだろう。俺は騙されてないぞ、じゃなくて、具体的に否を表明しないとどんどん状況は悪化していくんじゃないかな。そう思う僕だって、いま「バカな大衆」を仮構して、「バカな大衆とは一味違った自分」として語っているではないか。これ、どうしたら打破できるのかな。