2020.05.14

キャロル・エムシュウィラー『すべての終わりの始まり』を終えて、わからなさが気持ちのいい、まったく信用ならない語り手ばかりの短編集で、もっと読んでいたかった。それで続いてジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』をやりつつ、わけわからんのが読みたいモードというのは貴重なのでとうとうベケットを引き出して、『モロイ』、疲れてきたら息抜きに『ローベルト・ヴァルザー作品集3』──こちらも十分わからない──という布陣で、三冊をちゃんぽんしながら読み続けた。明快なのは帳簿をちゃんとつけるのは大事、ということだけで、モロイの現在地もベンヤメンタ学院の目的もなにがなにやらわからないまま面白かった。ついにベケットを面白がれた! これまでも『モロイ』は何度か試み、3ページも進まず放り出したが、今回はあいまに二冊挟みつつも50ページ弱読んだ。しかしどこまで読んでもいつ放り出してもおかしくない小説で、しかしずっとこれだけ読んでいたい、となるようにも思える本だ。宇野訳の残りの二作も買っておけばよかった。次いつ本屋に行けるかわからない。

 

夜は奥さんとお散歩。奧さんはきっちり五日外に出ないと顔がむくんで愚痴っぽくなるのだけど、本人は出不精で外に出ようとしないので僕が一緒に歩こうと連れ出す必要がある。祖父母の家の外犬たちは散歩のたびに文字通り飛び跳ねて喜んだが、家犬たちはいちいち嫌がり外に出てもおっかなびっくりというか外犬たちの元気に気圧されているようだったのを思い出す。あるいは粗野を鬱陶しがるようでもあった。小麦粉を求めて手近なところから四軒、ドラッグストアとスーパーを巡り、四軒目で買うことができる。歩行距離も目的も果たせて、満足のいく散歩だった。奥さんも僕もさっぱりとした。