2020.06.05

朝起きて電車に乗るというのがこんなにたいへんだったとは。『半穀物の人類史』からの『通勤の社会史』で、狩猟採集民としての野生を取り戻す行為としての通勤、というようなことを考えたのだが、じっさいのところ、この状況で電車に乗らなくちゃいけないのはかなりつらいが、それでも移動することでどこか活性化する部分もあって、複雑な気持ちだ。

おそらく僕が何かを作りたいと思うには、日々の不満が必要で、家では不満なことなんてほとんどないから、外にそれを見つけに行く必要があるのだろう。


会社にいるとほかの考え事がはかどるようで、MacBook 購入を口実に始めてみたいことなどについて、わくわくと構想を練っていた。仕事はふつうに家でやっても事務所でやっても進捗に差はない。ガッと集中して押さえ込み、あとは漫然と過ごしている。この漫然と過ごしている時間を、快適な家だとまじで漫然と過ごせてしまうが、外だとなんかしていないと発狂しそうなのでなんかすることになる。それで家に帰って作りたいものについて、がしがしと考えを進めていった。だいぶ楽しそう。


いまは本当に際限なくやってみたいことが増えていく時期の様で、いつもならやってみたいと思うだけ思って飽きるのだけど、今回は可能な限りじっさいにやってみようと思っている。ラジオも続けたいし、漫画とか描いてみたい。GarageBand で作曲の真似事もしてみたい。全部やってみようと思う。


夜はほうれん草と鶏肉の炒めたやつ。鶏肉はまず塩ゆでにしてそのまま鶏自身の脂でほろほろになるまで炒めていく。塩ゆでの途中でいくらかゆで汁を掬っておいて、それでスープも作る。