2020.06.08

労働。あいまにフェルプス爺。モダンな資本主義はまじ最高! イノベーションって滾るよねえ! という元気さにそろそろムカついてきた。社会主義に対する解像度の低さというか、近年のマルキシズムの読み直しを少しかじっていると議論の雑さに物申したくもなってくる。

Twitter でそろそろ『資本論』を読みたいが、翻訳はどれが適しているのか、とぼやくと、夏葉社の島田さんが反応をくださり、そのなかで教えていただいた『宝島』のマルクス特集がとても面白そうだった。プルーストの次はマルクスだと思っている。

 

奥さんはお尻が痛いと言って、そのまま腰を壊していきかねなかったので午後休をとって整体に出かけた。僕は元気なフェルプス爺の相手が疲れたので、真木爺を再読することにした。さっそくほっとするようだった。

貨幣経済と都市の原理が、社会の全域に浸透したのが「近代」であるから、「軸の時代」とは、「近代」に至る力線の起動する時代であった。無限に発展する「近代」という原理はやがて、二〇世紀後半の〈情報化/消費化社会〉において、完成された最後のかたちを実現することとなる。あらゆる障壁を打ち破りながら進展しつづけるこの「近代」という原理、その最後の純化されつくした形としての〈情報化/消費化社会〉は、それが全世界をおおいつくした(グローバリゼーション)というまさにその事実によって、ここに初めて、この無限の発展の前提である環境と資源の両面において、地球という惑星の〈有限性〉と出会うこととなる。

見田宗介現代社会はどこに向かうのか──高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書) p.ii 

いま読み返すとまた沁みる。二章の補論のたたみかけでやっぱりウルっとしつつもやや醒める。小さな本なので二時間とかで読み終える。それでやっぱり見田爺はいいんだよ、というのを帰ってきた奥さんに話す。たぶんとても嬉しそうだったと思う。ずっと音楽をかけている。カネコアヤノとFruit Bats がきょうはしっくりきた。暑い日の音楽になってきた。