2020.08.24(1-p.220)

可処分時間というおぞましい言葉がある。見田宗介の『時間の比較社会学』はそのおぞましさを明晰に見通す本だった。ともかく時間とは可能性の場でもなければ、処分できるようなモノでもない。消費行動を時間を処分することだと定義した人は、よっぽど鈍感だったのか、あるいはバカらしいほど鋭敏だったのだと思う。ともかくやばいのは、睡眠と労働以外の時間のその7割ほどを僕はFGOに費やしていることで、すでに六章に突入した。サマーキャンプも大団円を迎えた。経験値のカードのためにウィークリーのクエストも周回している。とにかく気がつけばiPhone を横向きにしてたたいている。Twitter すら開く暇がないほどで、六年前にiPhone を手放した理由はTwitter ばかり見てしまうからだったが、この一週間で怖いのはFGOだった。プルーストマルクスが実装されたらと思うと怖くてたまらない。