2020.06.12

『武器としての「資本論」』読了。いい本だった。フェルプス爺さんに時間をかけ過ぎたので、こうやってするする読める本を読むと自己肯定感が取り戻される感じがある。俺はまだ読める。そもそも自己肯定感を取り戻そうぜという本でもある。僕たちの生活にはパンだけでなくバラも必要なのだ。不要不急なんてものはない。すべてのバラが俺の生活には必要なんだ。そういう本だった。確かに『暇と退屈の倫理学』との相似をいくつも感じた。

昨晩ご飯を食べながら、ライブハウスや劇場の話をしていて、それでライブや芝居に行きたくて仕方がなかった。


『21世紀の貨幣論』も面白くて、こちらも読めている感じがある。文字が大きいというのもある。本はページ数よりも文字の大きさで速さが決まるというのは当たり前のようだがどうしてもページ数だけで判断してしまうようなところがある。自分で文字の大きさを調整できる電子書籍はここがよくなくて、本は情報である前にモノなのだという実感が僕はやっぱりほしい。文字の大きさは重要だった。それでどれだけ門戸を開いているのかがわかる。モノとしての意思表示がある。PDF販売はわりとモノ的で好きだった。使い手が介入できる余地が少ないから。


手の皮がべろべろにめくれていて、夏はいつもこうだ。夏は嫌いだ。それで指の皮も剥けているので指紋認証が通らない。眼鏡の鼻あての青緑色のカビがいよいよ気になる。マスクをすると右の鼻の付け根のところだけ青黒く汚れるようになってきた。仕事帰りに眼鏡屋さんによって交換してもらう。

 

昨晩のフィットボクシングの影響か、背中が痛くて、リュックの重さがしんどかった。