2020.07.11(1-p.115)

毎日ポケットにゲームボーイミクロは入れてあるが、『マジカルバケーション』は飽きてしまったかもしれない。クリア目前なのだけど、難易度が微妙に辛くなってきて、エンカウントする敵がいちいち強い。レベル上げもかったるいので、ここで断念かもしれない。もともと駿河屋からトルネコが届くまでのつなぎのつもりだったから、止めてしまってもいいとわかっていつつも、なんとなくクリア目前までやったのになあ、という貧乏性がはたらいて、すっぱり止めきることができないでいる。マルクスで忙しくなってきたし、ちょうどいいから止めちゃうか。

雨が一週間以上続いていて、ちょっと、ほんとうに限界。身も心もだいぶ弱気だ。 絶不調にもかかわらず、「マルクスを読む生活」だぞ、と思ったとたんに最近わりといい加減だった日記の文字数が増えて面白いものだった。 読み始めた日の夜、日記をチェックする奥さんが、日付にページ数がついた! 文字がたくさんある! と言ったあとに、今回は結構ちゃんとマルクス読んでるんだね、と感心してくれたが、たぶんすぐに言及しなくなるし、でももしかしたら今回はちゃんとしていくのかもしれない。僕なりに論理の流れを整理しながら読んでいったほうがマルクスを読む楽しさは増すように思うし、日記にそのときどきの理解を書き留めておけば、どこで躓いたかとか、なにを誤読したのかとかも、あとからわかりやすい。間違えることや至らなさを恥ずかしげもなく公開していくみたいなのは、日記だからこそできることだし、だから僕は日記が好きだった。

プルーストを読む生活』を読んでもプルーストはわからないように、「マルクスを読む生活」でマルクスを学ぶことは絶対にできないと明言しておこう。誰に? という感じではある。でも、前回が読書ってとにかく楽しいもんなんだ、というのを体現しようとしたように、今回は、学ぶってとにかく楽しいものなんだというのを実践していけたらいいな、などと無謀な目標をこっそり抱いている。読書はそのまま学びではない。読書はただ読書として楽しい。しかし何かを学ぼうとする読書ももちろん楽しいし、学びはただ読むことだけではない。学びのただなかでしか得られない享楽がある。それをやりたい。できるかはわからないけれど。

さっき聞いてたポッドキャスト若林恵が「雑なことできるのってセンスなんですよ」と言っているのがふと耳に飛び込んできた。いいな。いいセンスの雑さを持っていたい。