2020.09.09(1-p.255)

omeradi.org

昨晩からなぜだか、というかユーフォを観て京都アニメーションのすごさをようやく知ったからなのだけど、エンドレスエイトに突入した。もう九月なのに。これが二ヶ月続いた当時の衝撃はすごそうだなあと思う。リアルタイムに立ち会えなかったというのはすこしの悔しさではあるけれど、ありえたかもしれない熱狂を想うくらいが熱狂とのちょうどいい距離感だとも思う。流行の最中ではなく、それが終わり切った頃に夢中になる、そういう話をオムラヂでも青木さんがしていて、自分の登場回を聴くのは気恥ずかしさや自意識の過敏があるかと思ったらなくて、ただいつものように楽しく聴いていた。録音された自分の声にもだいぶ慣れてきたし、こうしていったん異物になった自分の言葉はやっぱり自分とは別物で、自分が普段頭蓋骨の内側からしか認識できない自分の発話や言語の運用は自分で思っているよりも普通だった。普通に会話がなされているし、普通になにかものごとを考えていそうな感じがした。そういうものだ。

 

セイレムも佳境で、エンドレスエイトも夜にはエンドを迎えた。なににせよインプット量が過剰だったがそれはいつものことで、本だけだったのがほかに分散しているだけのことだったがやっぱり読書というのはなにかしら特権的というか、我が家においては人前でも本を読むのが僕だけというのもあるが、ソシャゲやアニメを延々と浴びている様は奥さんも知っているインプットだからこそ量の異常が際立ってしまうというか、わかられてしまう。

 

さいきんはiPhone で日記を書くことが多く、キーボードと比べて格段に文字数が減った。それはなによりも画面の小ささによるものだった。SE の画面は非常に小さくてFGO も敵のレベルの部分が隠れてしまって見えない。画角の設定の問題なのか、特に困っていないからそのままにしているけれど、メールの文章なんかが端っこのギリギリにまでくることがあるのがすこし落ち着かない。文字の読みやすさには四隅の余白が思った以上に重要だというのがこうやってわかるようになる。