2020.10.30(1-p.325)

今日もまたメールの嵐の合間に猛然とメールを打っていた。多動。過活動。半分の熱量はあきらかに明るい未来を作り出している。もう半分には賃金が発生している。後者については動きすぎたら損なので、すこし悔しい。

いい体が欲しい。元気な体は本を気持ちよく読めるからだ。そういうわけでショートショートを読みながら、浦和まで鍼灸を受けにいったことを思い出す。あれは気持ちがよかったな。またやってもらいたい。

東洋と西洋という二項対立は、二項対立というのがすべからくつまらないようにつまらなく、そこで言われているのは全体の中でのバランスを模索する知のあり方と、部分における最適解を追求する知のあり方とは、あり方が違うよね、という話のはずだった。前者は感覚、後者は論理と言われることが多いが、どちらも知的な行為であり、どちらかだけではダメなのだ。

賃労働の現場が忙しくなればなるほど、全身をめぐる血が冷たく鋭くなっていくようだった。自分はこんなにぞっとするような声音で話せるのだな、と静かに静かに理詰めで状況を腑分けしようとする自分の声を他人のもののように聞いていた。はたから見たらいつもとかわらず、甲高い声でテンパっていただけかもしれないが。

くたびれて帰るとすぐに日付が変わる。このままじゃ終われねえ。そう思って奥さんにSlack で駅まで迎えに来て、そして僕と夜のお散歩に出かけませんか、と提案した。返事はなかった。LINE のほうに「Slackみて」と送る。既読はつかない。祈るようにしてもう一度送った「みて」もどこにも届かない。自分で自分のご機嫌を取ろうといろいろやってみてダメで、他人に助けてもらおうとしても空振りで、あまりにうまくいかないのでかえって気持ちは明るくなった。

ようやく気がついた奥さんは、玄関の前で待っていてくれた。三歩で終わる廊下を、お散歩、と称して八歩くらいかけて歩いた。