2020.04.20

きょうは『エロマンガ先生』を見終えて、次はどうしようかとガルパンを試してみたらべらぼうに面白い。これはたしかに面白い。なぜか街が航海してるのが発覚するところで、『けものフレンズ』のときの、なぜだか不穏さが見え隠れする世界観に夢中になったことを思い出した。説明の省略の巧さに、よいSFを感じる。その世界において当然のことは、説明されないのが自然だ。にくい。

 

柴崎友香の「よう知らんけど日記」※がとてもよかった。僕はこの作家の「共感」観がとても好きだ。感情というのは、もちろん多くの人にあるものだけれど、社会にそれは要らないというか、社会は、人じゃなくて困難のほうを向いていてほしいと思う。感情と理性というのをあえて大雑把に対に置いたとして、社会の運用というのは後者に全振りしていい。一意に決めきれないようなことを、両極の中間において適宜調整していくようなことは、理性のほうが得意。というか、感情は1か0しかない。ざっくりとした方向決めは感情の方が得意かもしれないけれど、それはあくまでだいたいの方向を定めるものであって、大事なのはそこから。たとえば怒りなんかも、一度燃え上がらせたらその火を大きくしたり、攻撃力を研ぎ澄ましたりするのは理性の仕事だ。

 

そんなことをTwitterに書いて、気がついたらnote でも日記が始まってる! 遡るように全て読んで、この日記へのスタンスというか、身の回りのことや、身近な人のことを書くことへの抵抗感に親しみを感じる。これは共通項を探すような共感だ。便利グッズや食品の書きぶりが気持ちいい。どん兵衛食べたい。

 

ひとの日記もいいけど、自分の日記もね、と催促されたので書く。さいきんは奥さんの催促によって書くことが多い。家にずっといると日記のタイミングが掴めない。それで読みたいひとの読みたさに頼る。子供のころ家族で外出すると、帰宅してすぐデジカメのデータを Macintosh に取り込んでみんなでスライドショーを見た。あの時間が、そこに写っている自分を見るのがすきだった。いまそれに近い感情を、僕の日記を楽しみに待つ奥さんに勝手に投影したりする。インターネット上に放たれたひとの文字が、自分を象っているというのは、ちょっと面白いよね。

 

※ 第125回 この何年か考えてる「共感」てことについて。 | よう知らんけど日記 https://www.lmaga.jp/youshiran/%e7%ac%ac125%e5%9b%9e%e3%80%80%e3%81%93%e3%81%ae%e4%bd%95%e5%b9%b4%e3%81%8b%e8%80%83%e3%81%88%e3%81%a6%e3%82%8b%e3%80%8c%e5%85%b1%e6%84%9f%e3%80%8d%e3%81%a6%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%ab%e3%81%a4/